IN広島・・・2日目①

Mammyさんご夫妻が、10時頃平和公園へ来てくださると言うので、
その前に原爆ドームへ行って来ようと、9時ころホテルを出発! 
昨日とはうってかわっての曇り空。気温も低く、寒っこい・・・(T_T) 
ホテルから歩いて10分、平和記念公園へ。 
平和記念公園の周辺には、たくさんの慰霊碑や祈念碑がありました。

f0120317_14394810.jpgまず最初に飛び込んできたのが、
この「原爆犠牲ヒロシマの碑」 
元安川の河床には、原爆の熱線で表面 が
溶けた瓦がたくさん埋まっていて、 
この碑には「原爆瓦」がはめこまれていた。 
「天が まっかに 燃えたとき わたしの 
からだは とかされた  
ヒロシマの叫びを ともに 世界の人よ」
 
と、彫られている碑文を読み、私たちはしばし無言に・・・。
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「動員学徒慰霊塔」
学徒勤労令発が発令され、中学生以上の生徒は軍需工場等での勤労奉仕が強制された。
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被爆当日、市内で建物疎開作業をしていた 国民学校高等科以上の生徒約8,400人のうち、約6,300人が犠牲となったそうです。
周りにはたくさんの千羽鶴。

爆心地であった、島病院跡地には、原爆被災説明板が。 
「テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」によって人類史上最初に使用された
原子爆弾はこの上空約580mで炸裂しました。
爆心直下となったこの一帯は約3000℃~4000℃の熱線と爆風や放射能を受け
ほとんどの人々が瞬時にその生命を奪われました。
時に1945(昭和20)年8月6日(月)8時15分のことでした。」

原爆は島病院の上空で、爆破。 
建物は瞬時に壊滅し、約80人と推定される患者・看護婦などの病院内にいた人は全員が亡くなり、姿は跡形もなかったとか・・・。 思わず手を合わさずにはいられない。
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そして私たちは原爆ドームへ。 
「原爆の投下により、建物は一瞬にして大破し、天井から火を吹いて全焼、 
中にいた人は全員死亡したと伝えられています。 
爆風がほとんど真上から働いたため、壁の一部は倒壊を免れ、 
ドームの鉄枠とともに象徴的な姿をさらしました。 
そして、その形からいつしか「原爆ドーム」と呼ばれるようになりました」
 
原爆ドーム前にあった説明文より 
 
写真でしか見たことのなかった原爆ドーム・・・。 
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外壁からでも原爆恐ろしい破壊力を推測することができるが、 
内部を見ても鉄骨などがむき出しになっていて、下は瓦礫の山。 
その惨状を目の当たりにして、なんとも言えない気持ちになった。
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平和公園へ向かう途中、元安橋を渡っているときに振り返って撮った「原爆ドーム」 
近代的なビルの中に、廃墟と化した「原爆ドーム」がひっそりと立っていた。

f0120317_15172094.jpg橋を渡るとすぐ平和記念公園。 
入園してすぐのところには「原爆の子の像」 
この像は2才で被爆し、幟町中学校1年生の時白血病のため亡くなった佐々木禎子さんを記念したもの。 
鶴を千羽折ると願がかなうと信じ、「生きたい」と言う願いを込めながら薬の包などで鶴を折り続けたが、
その祈りもむなしく亡くなったそうです。 
今でも、各地から千羽鶴が送られて来ているそうで、 
周りには、たくさんの千羽鶴が捧げられていた。 
ブロンズ像の下には、「これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための」
と書かれた石碑が。



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中の方へ進んで行くと、「原爆死没者慰霊碑」(広島平和都市記念碑)が建っていた。 
ここで、Mammyさんご夫妻と合流。
碑には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」とあった。 
中央の石室には、国内外を問わず、亡くなった原爆被爆者の名前を記帳した
原爆死没者名簿が納められているそうです。
慰霊碑の向こうには、原爆ドームが見えました。 
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私たちは静かにお祈りしてきました。
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平和記念公園には緑が広がり、至るところにベンチが設置されていました。
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by maccha1020 | 2006-03-26 11:18 | 旅 広島


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